ズルしても真面目にも 生きていける気がしたい~このサイトについて~

ズルしても真面目にも 生きていける気がしたい~このサイトについて~

きっかけはまちづくり

まちづくり界隈の仕事をこれまでしてきましたが、思うのは、本当にいろいろな人がいるなあ、と。

町が好きな人もいれば、町が嫌いな人もいる。

町を盛り上げたい人もいれば、そんなのは知らない、自分の暮らしが担保できていればよい、という人もいますし、

色々勉強して自己成長していきたい人もいれば、何も考えていないような人もいます。

そして、どうしてもまちづくり的な視点で簡単に考えると皆で輝かしい未来に向かって、一丸となって進んでいく、みたいな。町が好きな人、盛り上げたい人、自己成長したい人が善で、逆の人は極端な話、悪とされがちな、とてもヒロイックな世界観があるような気がします。

でも、それもおそらく違う話だろうな、という違和感があります。

偉人と犬、どちらに近いか

きっと世界は「ほとんどのことがどうでもいい」という世界観からスタートするんだろうな、と。

例えば、次のようなことを考えてみたりします。

一般人な自分がいます。そして、マハトマ・ガンディーとかキング牧師とか孫正義、誰でもいいのですが偉人がいます。そこらへんに犬がいます。さて、自分は、偉人と犬、どちらに近いでしょうか。

総合的に見ると、自分は偉人の方に近いのだと思います。

そんな風に考えると、誰かの偉い偉くないとか、優劣とか、そんなものは誤差にすぎないのでは、何ていうことも考えます。

ズルしても真面目にも、死ぬまで生きていたい

こんなちょっとしたアナーキーな想像の世界に陥ったりしますが、どうでもいい世界の中で、少なくともどうでもよくなく捨てられないこととしては、「生きていたい」という気持ちです。

これに関しては、どんな人も共通、普遍的な願いとして持てるのではないでしょうか。

僕たちはたぶん、ズルしても真面目にも、生きていたいのです。死ぬまで。

もしも願いが叶うなら

そしてあわよくば。もしも願いが叶うなら、生きていることが嬉しいな、と思いながら生きたい。

更に言うと、僕の場合はやはり善良さがあるのでしょうか、それとも見栄っ張りなだけなのかはわかりませんが、強いて言うなら昨日よりもおもしろく、成熟した自分であれれば、それが嬉しさにつながるな、とも思っております。

そんなささやかな願いが、人が生きている限り持てる社会というのは、控えめに言っても決して悪くないのだと考えます。

僕のこれからやろうとしている取り組みは、そんなささやかな願いを、なんとか自分の手で実現していきたいという気持ちからきています。

積み木を積み直すように

そして、多くの人が「生きていける感」を持ち、「どうしたらもっとより多くの人が、より良く生きていけるだろうか」を考え、対話しながら模索いけるコミュニティがあればいいな、と思っております。

もともとはそれが「ムラ」というものだったのだと思いますが、そんなコミュニティ像を、もう一度積み木を積み直すように、探っていければと思います。

地方創生カテゴリの最新記事