こんにちは、いしおです。
今日は世界の構造について、
なんとなく思うことを書いてみたいと思います。
世界はフラクタル構造で出来ている
世界は、フラクタル構造をしているな、と。
フラクタルとは、細部と全体が同様な構造をしている
図形のことです。
例えば以下。
【出典】フラクタルとは (フラクタルとは) [単語記事] – ニコニコ大百科
具体的には
例えば。
僕の仕事は地方創生とか地域活性化と
言われるようなジャンルなので、
よく都会と田舎の関係、といった構図にも
よく出くわします。
この構図は、実は田舎の中でも起きています。
田舎と呼ばれる地域の中でも、
都会的なエリア(役場や商店があり、
新しい建物が建設されるようなエリア)と
より田舎なエリア(周囲が山、みたいな)に
分けられます。
その地域に人が移住してきたとしても、
住宅の無さや職場へのアクセス、
買い物環境などがあり、
都会的なエリアに人が集中することになるのです。
また、もっと視点をピンチアウトして見てみます。
日本は世界の中のごく一部、辺境にしか過ぎません。
よくテレビでは
「日本の◯◯が世界で人気」と騒いで、タレントなんかが
「だから日本は素晴らしい!」と拍手喝采を送っていたりしますが、
海外目線で見ると「それほどでも・・・」という感じで
滑ってることも多いでしょう。
古いですが「お・も・て・な・し」なんかはうすら寒かったなあ、と。
その他視点をぐぐいと拡大して見てみると、
「AさんとBさんが仲悪い」みたいな構図は
地域間連携や果ては国際紛争のような世界観にも
似たような姿となっているなあ、と思います。
それの何が面白いのか
みなさん、きっとこうお思いかもしれません。
だから何なの?と。
僕が面白いと思うのは、
僕らの他愛もない日常が、世界の問題解決のヒントにも
つながってるんだと思えるからです。
地方に移り住み、更に限界集落や
人里離れた山奥で暮らす人がいたとして、
その人からは「ポスト資本主義」や
「都会に頼らない生き方」、
「ほんとうの田舎で暮らす喜び」なんかを
学ぶことができるかもしれません。
確かインドで、トイレ掃除の仕事を一生懸命こなし、
子供を大学に行かせたというおばちゃんの話を聞きましたが、
これは貧困問題が顕著な沖縄の教育に
大きなヒントを与えるかもしれません。
僕らの身の回り半径5メートルで起こる日常が、
世界を変えうるヒントかもしれない、と。
実際に世界を変えるには、
このような知見を持った人たちが集い、
集合体として取り組む必要があるのだと思いますが、
それはまた別の話。