こんにちは、いしおです。
僕はこれまで、バレンタインデーに多くの罪を重ねてきました。
チョコをおねだりする「チョ乞食」
僕は自分で言うのもなんですが、「モテる」か「モテない」かでいうと、残念ながら明らかに後者に分類されます(動物と子どもを除く)。
学生時代はバレンタインデーにはひょっとしたらあの電柱の影に電車でいつもすれ違うマドンナが僕のことをなぜか待っているんじゃないかと(地元では有名な女子校に通っている設定)思っていたのですが、
そんな期待が何年も何十年も重なるとさすがに「ああ、やはりこの世に奇跡というものはないのだ」「更に言うと何の努力もせずに奇跡が起きるわけなんてないのだ」ということに気づくわけです。
では、どうすればいいのか。チョコをもらえる人生から無縁のままひとり寂しく生きていくしかないのか。そんな絶望に打ちのめされながらも、僕はかすかな希望にかけたのです。「そうだ、チョコをおねだりしよう」と。
というわけで、僕がはじめたのが、「チョ乞食」。バレンタインデーにチョコをおねだりしまくるのです。主なツールは、facebook。
こういうのとか、
こういうのとか、
こういうのをアップしまくりました。
そうしたら僕のお友達の女性陣はみなさん優しく、チョコをくれたりなんなら遠くから郵送で送ってくれたりするのですよ。
こうやって。
大変ありがたいのですが、いつしか僕のココロには「おねだりしたらチョコはもらえる」という傲慢さが芽生えることになったのです。
チョーシこいちゃいました
ゴディバ「義理チョコをやめよう」
そんな中、例の広告ですよ。これ。
ゴディバ「義理チョコやめよう」広告に込めた想いは? 会社に聞くと「熱い」答えが… : J-CASTニュース
まず、私たちが大切にしたかったのは、バレンタインデーの主役は、『もらうひと』ではなく、『あげるひと』ではないか、ということです。
ゴディバ「義理チョコやめよう」広告に込めた想いは? 会社に聞くと「熱い」答えが… : J-CASTニュース
これまで義理チョコをおねだりしまくっていた僕の浅ましさを痛感する広告でした。
すいません
お菓子をつくって贖罪
というわけで、今年のバレンタインデーは、僕の中でテーマは「贖罪」に決まりました。これまでおねだりしてきた罪をつぐなうために、今度はバレンタインデーに、(誰にも頼まれていない)ケーキを焼いて配ることにしたのです。
材料は、ホワイトチョコに、庭でとれたバナナと島コショウ(ピパーツ)。久米島らしい食材を使って、ちょっと変わったスパイシースイーツをつくろうと思ったのです。
島バナナと島コショウのスパイシーホワイトチョコケーキをつくる
ネットで適当にそれっぽいメニューを調べ、目分量と感覚で作りました。
お味はいかに
月面のようなクレーターぼこぼこのケーキとなりましたが、試食したところバナナの甘みと島コショウのスパイシーな後味が結構うまいものとなりました。
ですがコショウの混ぜ方がいまいちだったようで偏り、約1名はめっちゃ辛かったようです。なむ。
バレンタインめんどくさい
誰からも求められていないのにスイーツを作ったわけですが、感想としては「バレンタインめんどくさいな」と。手作りでやらなきゃいけないとか、失敗したときのリカバリーとか。
何より、「誰にどうやって渡すか」を考えるのがかなりダルかったです。僕はfacebookでもらってくれる人を公募しましたが、実際の女性陣は誰にどう渡すかとか、勘違いされないようにしなきゃとか、順番とか、やっぱり考えるのはだるいのだろうなと思いました。
ので、「義理チョコをやめよう」は正解感あるなと。
ホワイトデーもやるよ
とはいえ罪がつぐないきれたわけではありません。ホワイトデーも何かつくって配ろうと思います。求められてないのに……。