世界を良くするのは起業家ではなく、成熟した消費者なのかもしれない。

世界を良くするのは起業家ではなく、成熟した消費者なのかもしれない。

こんにちは、いしおです。

僕は最近、とある重大なことに

気づいてしまいました。

 

それが今回の

「世界を良くするのは起業家ではなく、成熟した消費者なのかもしれない」

という話です。

 

気づいちゃった……。

やばい、やばいぞ……!!

 

例えば、2つの職場があったとして

例えば、2つの職場があったとします。

1つ目はとても業務が効率化されていて、

給与も福利厚生も良いんだけど

接するお客さんは無表情で会話も無いような職場です。

 

2つ目は給与や福利厚生はそこそこなんだけど、

顧客がとても「いい人」で、

ニコニコして上機嫌に接してくれ、

「この前買ったアレ、すごい良かったよ! また頼むね!」とか

「あなたの仕事っぷりは素敵だね! あなたが担当で私は嬉しいよ!」とか

そんな温かい言葉を投げてくれる職場です。

さあ、あなたはどっちで働きたいですか?

 

良いお客さんとしての振る舞いが働く人の幸福度を大きく左右する説

いかがでしょうか。

2つ目の方が大多数、とは言わないまでも、

給与も福利厚生もそこそこな職場が

魅力的に思えたりはしなかったでしょうか?

 

人はパンのみで生きるのではない、

と言ったりしますが、

お客さんからのプラスのフィードバックが

生活の糧と同様、時にはそれ以上に

欲しくなったりするときも

あるのだと思います。

 

ので、僕が思うのは、

起業家や経営者、従業員が良い職場を作ろうと

それぞれの企業で努力するよりも、

多くの人が成熟した

良いお客さん、良い消費者として

振る舞えるようになる方が

幸福度の高い良い町、良い国が

作れるのではないか、ということです。

 

良い商品を届けても良いお客さんは増えない、その理由

ビジネスマンが頑張って、

良い商品をお客さんに届けるだけでは、

「良いお客さん」は増えないように思います。

 

基本的に多くの「良い商品」とは

「もっと便利に」

「もっと安全に」

「もっと快適に」

「もっと美しいものを」

「もっと早く」

「もっとリーズナブルに」

届けようとする行為だからです。

 

そのようなものを与えられ続けるだけでは、

きっと成熟社会には近づかないのではないでしょうか。

 

なぜなら、

人は与えられ続けることに慣れると

「与えられるマインド」が

醸成されてしまうからです。

 

「与えられるマインド」とは、

どうしたらもっと多くの優れたものが

安く早くもらえるか、にフォーカスする

考え方のことです(造語)。

 

賢い消費者となるために、

このマインドは必要だと思います。

ですが、この「与えられるマインド」が

強くなりすぎると、

様々な弊害が発生します。

 

例えば、

無料や廉価のサービスに対する

行き過ぎた要求や、

「○○が無い(与えられていない)から出来ない」

といった言い訳、

自分だけ得をすればいいといった

利己的な考え方などを生み出す可能性があります。

 

「与えるマインド」を持った消費者が世界を変える

こう思っています。

「「与えるマインド」を持った消費者が世界を変える」と。

 

例えば、修行中の若者や

独立したての若手に

仕事を頼む行為。

 

単純に自分が欲しいものだけ得ようと思えば

実績のある人に頼めばいいのだと思います。

ですが、これは消費者側が

「与えるマインド」を持っているのだと。

お金の他に、「機会」を与えているのです。

 

飲食店でご飯を食べた人が

店の人に

「ごちそうさま、美味かったよ」

とかける一言が、

店の人にとっては何よりの報酬でしょう。

これは、お金の他に「感謝」とか

「やりがい」をお店に対して

提供してくれてるのだと思います。

 

このような「いいお客さん」が多い町があるとすれば、

いろんなチャレンジをしてみたくは

ならないでしょうか。

どんな起業支援を行うより、

消費者の「与えるマインド」を醸成したほうが

起業につながるのではないかと思います。

 

消費者が好むものの行く末に成熟社会が無ければ世界は良くならない

消費者が好むものの変容こそが、

世界を良くするためのヒントだと思います。

 

低俗なゴシップや環境負荷の高い商品など、

どこかで誰かを傷つけるような商品が

売れるのであれば、商売人は

それを販売するでしょう。

 

ですが、消費者が仮に

より良い社会に導いてくれるものや

誰も傷つけず幸せにするような商品などを

選んで買うようになるのであれば、

商売人はやはりそれを選んで

販売するようになるはずです。

 

「何が売られるか」を決めているのは、

企業や経営者のように見えて、

実は消費者なのではないでしょうか。

 

エシカル消費に代表されるように、

「消費活動や買い物は未来への投票」といった

考え方が注目されています。

 

より成熟した消費者を生み育てる活動が、

起業家や経営者が頑張るよりも

遥かに未来を左右するように

思えて仕方ないのです。

 

終わりに

今回は「成熟した消費者こそが、

より良い社会の担い手なのでは」という

考えについて書いてみました。

いかがでしたでしょうか。

 

日本だと、「成熟した消費者」とは

「粋」という言葉に

収斂するように思います。

 

例えば飲食店で長居せずに

サラサラっとご飯を食べて

サクッと帰るようなお客さんは

「粋」とされたり。

 

そんな粋な人に憧れを抱きつつ、

「そうは言ってもなれんなあ」と

僕は今日もどこかの酒場で

くだを巻いているかもしれません。

 

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