幸せとは?「織田信長よりも幸せ理論」と「今この瞬間で幸せになるしかない理論」

幸せとは?「織田信長よりも幸せ理論」と「今この瞬間で幸せになるしかない理論」

Nobunaga kamon

本日は、僕が編み出した幸せをめぐる二つの理論を紹介したいと思います。

幸せですか?

バーベキュー

先日何人かでバーベキューをしていたのですが、その際にある方からこのように聞かれました。

「幸せですか?」

その方は僕を久米島での仕事に誘ってくださった方ですので、推測するに、果たして声かけた結果が良かったのか気にしてくださったのでしょう。有り難いことです。

その時は単純に「幸せですよ」と答えたのですが、それをきっかけに、幸せについて考えをまとめてみたくなりました。

僕は幸せなのですが、それは別に僕が才能に恵まれ、豊かな収入を得て、友人や彼女に囲まれて毎日愉快に過ごしているからではありません。むしろ僕は、才能もそれほどなく、普通に考えたら主業務からの収入もワーキングプアレベル、彼女はとんといません(絶望)。最近気安くアウトドアを一緒にしてくれる友人が少ないことに気づきました。残念です。でも幸せといえます。

幸福度に関する二つの視点

幸せを考える上の尺度として、「幸福度」という言葉が思いつきます。幸福度とは何でしょうか。

これについては様々な学者や有識者による様々な定義、考えがあるでしょう。めんどくさいのと体系的に理解していないので詳細な説明は割愛しますが、どうやら幸福度という尺度には、客観的幸福度と主観的幸福度という2つの軸があるように思えます。

客観的幸福度とは

客観的幸福度とは、その名の通り、ある人を客観的に見て幸せそうかどうかを見る尺度です。例えば神戸あたりで平日の昼下がりにお紅茶とお菓子をお召し上がりになり髪の毛はマキマキで白ゴスのような服を着ている有閑マダムは幸せそうに見えますよね。え?見えない?

もしくは、福祉が手厚かったり教育も行き届いていて治安がよく貧富の差もないような国に生きている人々は、やはり客観的に見て幸せそうな気がします。

周囲から見て、ある人が持ち得ている条件がどれだけ豊かであるかを判断するのが客観的幸福度です。

ここで注意が必要なのは、その人が本当に幸福かどうかを直接測る尺度がないことでしょう。所有している資産や、毎月の所得、活用できる制度、事故や病気による死亡率など、「幸福」に影響を与えそうな様々なパラメータは計測できますが、ダイレクトにその人がどれだけ幸福を感じているかに関しては測れません。たぶん。たとえ幸福な時に出やすい脳波や脳内物質の量と分泌時間などを計測したとして、その量の多寡を元に「幸せ」を測るというアイデアがあったとしても、それを計測しているのは物質や脳波であり、「幸せ」という概念を直接測ったことにはならないはずです。きっと。

ここで我々は、幸福かどうか、というのは、実際のところ、その本人にしかわからない、とても主観的なものであることに改めて気づくのです。

主観的幸福度とは

主観的幸福度とは、単純に自分が幸せだと言えるかどうか、どれくらい幸せかの尺度です。客観的幸福度と異なり、パラメータは単純なものになると思います。すなわち、「あなたは幸せですか?どれくらい?」という質問に対しどう答えるか、という所に落ち着きます。客観的幸福度と比べ、「幸せかどうか」を直接問うことになりますが、今度はその幸せ度を測る尺度が存在しません。客観的ではないのですから。

ここまで、幸せをめぐる二つの視点について解説してきました。ここからは、この二つの視点を元に自分がどれだけ幸せかを考えていきたいと思います。

客観的幸福度:織田信長より幸せ理論

ここで、織田信長氏と僕を比較してみたいと思います。織田信長氏をなぜベンチマークとして挙げたかで言うと、「有名さ」「歴史に名を残した感」「天下統一まではいかないにしても夢を追ってテッペン取った感」などが挙げられます。

織田信長氏と比べてみます。

命狙われる織田信長氏と安心安全な俺氏

織田信長氏といえば、想像するにきっと各所から命を狙われていたことでしょう。実際、本能寺の変では家臣の明智光秀に寝首をかかれてしまいます。それ以外にもきっと襲われたり、命がけの戦などを何度も経験してきたことでしょう。

参考資料:「「本能寺の変」 踊る授業シリーズ 【踊ってみたんすけれども】 エグスプロージョン」

一方僕は、これまで命を狙われたことがありません。平和に生きてきました。・・・あ、一回だけ、夜の国道254号でバイクに乗っている時に、フルフェイスのライダーに煽られて転ばされそうになったことがあります。思い出したら腹たってきた!ムキーッ!!

南蛮かぶれの織田信長氏と海外旅行しちゃえる俺氏

織田信長氏といえば、南蛮かぶれで有名です。何やらハデハデな南蛮由来の服を着て喜んでいたそうじゃないですか。きっと海外に行ける機会があったら喜んで行ってたんじゃないかと思うのですが、僕は実際に海外旅行に何度も行けちゃったりしてます。

マチュピチュ。僕が行ったのは10年くらい前ですが、今は入場料上がったり規制かかったりしてるようですね。

フランスのベルサイユ宮殿。豪華絢爛過ぎて疲れます。

ヨルダン、ペトラ遺跡。インディ・ジョーンズ最後の聖戦の舞台です。
遺跡にこだまするロバの鳴き声が哀愁に満ちてました。

金平糖で喜んじゃう織田信長氏と舌が肥えた俺氏

金平糖
織田信長といえば金平糖3粒と城を交換すると言ったとか言わないとかいう逸話で有名です。

一方僕は台湾のハーゲンダッツでこんなパフェを食べちゃったりしてます。これ持っていったら安土桃山城くれないかな。

以上、客観的幸福度の観点から比較しましたが、おそらく織田信長氏と僕の幸福度で言うと、僕のほうが圧勝なのではないでしょうか。

主観的幸福度:今この瞬間で幸せになるしかない理論

主観的幸福度についても考えてみました。よくある話ですが、アフリカのスラムで逞しく笑いながら生きる子どもたちと、日本の夜遅くまで塾に通い移動中ゲームをピコピコやりながら死んだ目をしているような子どもたちはどちらが幸せなのでしょうか。これを考えるに、アフリカの子どもたちのほうが主観的幸福度を高める能力に優れているのでは、という考えがあります。

幸せという感覚は、自ら味わいにいかなければ感じることはできないのではないでしょうか。そして、幸せにだと感じることができるのは、過去でも未来でもない、現在、この瞬間しかありません。未来に幸せになることはできません。未来が訪れた瞬間が「現在」であるからです。だから僕たちは、今この瞬間で、幸せになるしかないのです。

そんなことは、久米島に来て、そして複業をはじめてよく思います。最初の頃、なれないうちはずっと仕事のことばかり考えていました。四六時中、休日もです。そのような生活を続けていると、心が疲弊してきた自分に気づきました。このままじゃいけない、とは言え、複業は、自分の生きていく力を高めるためにも続けたい。どうしたらいいのでしょうか。

始めたのは、「今この瞬間に集中する=未来を考えすぎない」こと、「幸せを感じる瞬間を、一瞬でもいいので積極的に作る」ことです。

未来を考えすぎない

具体的なノウハウになりますが、googleカレンダーにスケジュールをいれたら、あとはそのタスクについては考えない。今やるべきことに集中したり、休憩中なら休憩することに集中するようにしました。すると、気がかなり楽になります。今やるべきことだけに頭を働かせればいいのですから。未来について考えるときは、ちゃんとスケジュールにいれるようにするのです。

幸せを感じる瞬間を、一瞬でもいいので積極的に作る

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僕が住んでいる久米島では、海の色は勿論、晴れた日の夕陽や星空がとても美しく見えます。仕事を中断して移動し、その瞬間だけは他のことは全て忘れて、空や海を眺める。それだけで幸せを感じることができます。

今日のどこでもオフィス #サイプレスリゾート久米島 #Wi-Fi完備 #ホットコーヒーおかわり自由らしい! #沖縄 #久米島

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自室にこもって仕事していますが、気分転換に外出し、ホテルのラウンジで仕事をしたりします。

穏やかな朝です #沖縄 #久米島 #シンリ浜 #キャンプだホイ

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天気がよい夜は、無理矢理にでもキャンプにでかけます。ハンモックに揺られ、星空を眺めながら酒を飲みまどろむ。こんな生活ができる人が、幸せではなくてなんというのでしょうか。

結論

日本にいる殆どの人は幸せになりえます。
なぜなら、織田信長と比べて客観的幸福度が高いからです(織田信長よりも幸せ理論)。
更に言うと、もし織田信長と比べて客観的幸福度が低くても、今この瞬間に幸せを感じることはできます。(今この瞬間で幸せになるしかない理論」)

今不幸だな、と思う方は、とりあえず落語でも見て笑えばいいと思うよ。

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